出産に伴い、大好きな高井戸の家を引っ越した。
事務所としても使っていたこの部屋は、コーポラティブという言葉がまだない昭和49年に建築に関わる知人が結託し区分所有で建てられた物件の一室。僕の借りていた402号室は、間仕切りも廊下も持たず、全ての部屋が吹き抜けを介して緩やかに繋がっていた。この吹き抜けが生み出す大空間とその広がりが、僕は大好きだった。そして、細部にまで建築主の工夫と意図が感じられ、使っていて気持ちがよかった。
でも、吹き抜けを持ち4Fまで外階段で登らなければならないこの家は、小さな子供には危険過ぎるので、泣く泣く引越を決めた。
豊かな空間体験はもちろん豊かな空間においてしか感じられない感覚で、その空間がどのくらい気持ちを豊かにしてくれるかは長い時間使い込まなければわかられない。
確かにこの家は寒かったし、コンクリートの壁は結露を起こすし、古いこともあって手間のかかる物件だった。
ただ、何を大事にし具現化してるのか、そのコンセプトが明確だった。吹き抜けの大空間は、その手間以上に豊かな時間を与えてくれた。
日本の住宅、とくに賃貸物件は、コストパフォーマンスのみが追求され、間取りも仕様も驚くほど均一化されている。
その上、自分で手を加えることも許されない。ましてやオーナーの愛情や意図が感じられるような物件は、本当に少ない。
最近では、定期借家だったり、煙草を吸うことさえNGだったり、むしろ借り手の生活を制限する方向に向かっている。
中古の物件をリノベーションして自由な間取りを手に入れる動きも出てきてはいるけど、まだまだ一般的ではない。
これでは、いつまで経っても豊かな空間文化が日本人には根付かず、自分にとって気持ちのいい空間であるか否かの感覚さえも培われない。
坂口恭平君は、日本には溢れ返る建物の空室を憂い、新しい建築の不必要さを訴えている。
確かに建築は余っている。でも、人々の生活を豊かにできるような空間はまだまだ少ない。であれば、それらの質を変える方向にシフトしてはどうか。
今までのスクラップ&ビルドの手法ではなく、道具として、生活を担う土台として空間を見直し考えられたものに変えていく。
そのことで産み出される多様性の積み重ねこそが、豊かさや文化に繋がっていくと思うんです。
そう考えると、空間に関わる僕らの仕事とその役割は、まだまだ無限に広がっていく。